見出し画像

正直なリアクションはちょっと怖いけど、救いでもある

こんにちは、れんげ舎note編集長の志摩です。

悪気や自覚がなくても、他人の迷惑になっていることってありますよね。先日、電車に乗っていたら、ドアの目の前で立ち止まって乗降の妨げになっている人がいました。マナー違反…といえばその通りなのですが、「周りが見えてなさそうだな」と思いました。

目に見えないところを見るためには?

知らないうちに他人の迷惑になってしまう。ある程度は仕方がないと思うのですが、気付けるものならば気付きたいです。

周りを見るしかないと思うけど、「見ればわかる」ということでもないですよね。きっと、「行動から読み取る」ことや、「相手の思いを推し量る」ことなど、目に見えないところを見る必要があるはずです。

れんげ舎で誰かと組んで仕事をする時や、会議でやりとりする時に、こうした必要を感じることがあります。


つい自分でやってしまう私…

私の場合、「自分でできることなら自分でやってしまおう」とか、「◯○さん、いま忙しそうだから話しかけないでおこう」と考えて、相手に状況を伝えないで進めてしまう事がたまにあります。

ちょっとした疑問があっても外に出さずに自己完結しがちで、私の想像以上に自分の意図や思いが伝わっていないことがあります。

その結果、相手のための配慮だったはずなのに、相手には喜んでもらえず、「そういうことなら、先に言ってくれればかえってよかった」みたいなことを言われたりして…。

他者のフィルターで自分を見つめる

そんなわけで、相手のための行動だったはずなのに、思ったような結果につながらず、私としてはちょっと残念でした。

でも、私の配慮や遠慮が相手のためになっていないことに気づけたのは、一緒に仕事をしていたメンバーが正直にリアクションしてくれたからです。配慮してくれたんだから…と黙っているパターンもよくあると思うのですが、そういうことはちゃんと言い合おうぜという社風です。

結局のところ、物事は自分のフィルターを通してしか見れない。

でも、正直な他者とやりとりをすることで、他人の視点から自分を眺めることが出来ました。そうすると、自分の「行動パターン」やその背景になる「思考パターン」まで浮かび上がってきました。

正直なリアクションってお互いちょっと怖くもあるけど、そこを乗り越えると、相手にも自分にも出会えるんだなと分かりました。

活動に興味を持ってくださったら、代表・おさだのメルマガ『冒険と灯台』をご購読ください。