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家族の歴史を調べたら「普通の家族」が違って見えてきた

NPO法人れんげ舎

こんにちは、れんげ舎note編集長の志摩です。

突然ですが、私は最近、歴史に興味があります。学校で習うような歴史ではなく、興味があるテーマの歴史を知るのがなかなかエキサイティングです。

「家族っていいよね」が疑問でした

最近、れんげ舎で「家族」と「お金」の歴史を調べる機会がありました。それぞれチームを組んで研究し、発表までしました。私は「家族チーム」でした。

「家族」って身近なものなのに、起源はあまり知られていないですよね。テレビや雑誌などを普段見ていると「家族っていいよね」という考え方ばかりで、その偏り具合が疑問でした。

家庭内での虐待や暴力、離婚による貧困など、家族の問題に関するニュースは多々あります。また、私の周りには結婚していない友人・知人も多く、兼ねてから「家族を選ばない選択もあるよな」と思っていました。

「家族がいる=安心」っていうイメージって、ありますよね?

家族からくる安心感、分からないわけではないのですが、無条件に肯定するのは、ちょっと行き過ぎでは…と思います。家族がいることが安心につながる筋道が、曖昧だからです。

歴史を知ると「当たり前」が揺らぐ

私たちの研究チームでは、日本における家族の歴史、法律面、そして家族に関する日本人の意識調査の推移などを調べました。
調べてみたら、私が想像していたよりも、近代家族の歴史ってすごく浅かったんです!ざっとまとめると…。

家族が法律で規定された明治時代

明治時代に「家族法」が制定され、家族とは何かというのが法律で規定されたことが、近代家族につながる大きなターニングポイントだということが分かりました。

江戸時代には士農工商の身分制度があり、それぞれの暮らし方や職にあった家族の形があっただけで、国家で定めた「家族の形」はありませんでした。夜這いの文化もあり、現在の「家族」とは形も庶民の認識も大きく異なっていました。

戦後の高度経済成長で大きく変化する

もうひとつの家族におけるターニングポイントは、敗戦と高度経済成長でした。敗戦後は家族内での民主化も進み、「父親が一番偉い」という家父長制の価値観も、男女平等の推進もあり、次第に薄れていきました。

そして、社会の産業化が一気に進んだのも高度経済成長期の特徴です。家庭と労働が分断され、家の外で働くことが一般的になり、家族は江戸時代の農村のような「生産機能」ではなく、「精神的な拠り所」という機能が大きくなり、私的な組織へと変遷しました。

精神的な拠り所は家族以外にも

こうしてルーツを辿ってみると、現状の家族に対して納得感が得られる一方で、こんなに時代は変わったのに、いつまで古い価値観を引きずるのだろう、とも思えます。

今の家族に求められているものが、「精神的な拠り所」なのだとしたら、それって家族以外の場やコミュニティでも、全然できる可能性あるなと思いませんか?

進路の選択肢を増やしたい!

発表を終えて思ったのは、「家族」の定義や形はもっと良いものに変えていけそうだし、家族以外の選択肢だって、もっとあってもいいなということでした。

家族をつくることにつながるライフイベントに「結婚」がありますが、人によっては純粋に「自分のため」でなく、「親のため」や「社会的ステイタスのため」みたいに見えることもあります。

結婚という制度そのものが、国家が人を管理するためにつくられたという歴史も、忘れてはいけないなと、思いました。

今回は詳しく書ききれませんが、「お金チーム」の発表からも、面白いことがわかったんです。家族もお金も、人間がつくり出したものなのに、当たり前になりすぎで目的が身失われて、価値そのものも変化している、ということです。

「当たり前」になると考えるのをやめちゃうことがあるなと痛感しつつも、こんなふうに歴史を知ることで、それが「当たり前」ではなくなって、選択の幅を広げられることが分かりました。そんなわけで、私は今ちょっとわくわくしています。



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