自分らしく生きることをあきらめない #myしゅぎょう【いえのみ①】
はじめまして。れんげ舎のいえのみと申します。
0歳の赤ちゃんを育てながら、れんげ舎で活動をしています。出産前までは家にいることなんてほとんどなかったのに、出産後は毎日家で赤ちゃんと二人きり。「子育てはとても孤独だ」と感じました。
出産から3ヶ月、夏の始めくらいまでが、精神的にも体力的にも一番辛い時期でした。もうれんげ舎を続けていけないのではないかとさえ思いました。その後、仲間の力を借りて活動とのつながりを取り戻しました。希望を取り戻しつつあるものの、まだまだ悪戦苦闘しています。
今回から3回に分けて、強い孤独感からどのような方法で希望を取り戻しつつある現在地まで到達出来たのか、お話させていただこうと思います。初回は自己紹介も兼ねて、出産前の自分について書きます。
2007年、学生の立場でれんげ舎に参加
れんげ舎に関わりあしかけ15年になります。学生の頃、れんげ舎の子どもの活動に魅力を感じて、指導員として加わりました。でも、子どもたちとの間に「壁」のようなものをずっと感じながら活動していました。
現場が終わった後に開かれる「感想会」というふりかえりの場で、壁をつくっているのは自分だと気づきました。私が今まで自分だと思っていたものは本当の自分ではなく、周りの期待に応えるために必死に演じた「嘘の自分」だと気付いたからです。
外ではどちらかと言えば優等生だった私ですが、れんげ舎では全然うまくいきません。それでも「続けていかなければ」と感じていました。当時は理由が分からなかったのですが、つかみかけた本当の自分の「かけら」のようなものを、手放したくなかったのだと思います。
期待に応えたい思いが「壁」をつくる
その後、れんげ舎の様々な事業にかかわり、重要な役割を担うようになりました。れんげ舎の会議は、お互いが本当に思ったことを話すということをとても大切にしています。
最初のうちは、子どもたちとの間につくっていたのと同じ「壁」を自分からつくってしまいました。期待に応えられずに変なことを言いたくなくて、黙っていることが多かったです。
でも、それでは物事が前に進んでいきません。それだけでなく、自分が黙ることでやりとりをしようとしている仲間を傷つけることがあるのだと気付きました。
拙くてもいいから「自分の言葉」で
「拙くてもいいから、ありのままの自分の言葉で話していこう」
とにかくそうしようと決意して、実践しました。こうした体当たりの行動に、いつも正面から向き合ってくれる仲間を、かけがえのない存在だと感じました。
気がつくと、自分に対する信頼感が生まれていました。責任をもって働くとはどういうことなのか、試行錯誤しながら体得したと思います。
そうしているうちに、れんげ舎の場だけでなく外の場でも、自分が思ったことをしっかり話せるようになりました。家族や友人に対しても、自分自身の思いをちゃんと伝えるようになり、その結果、関係性が変化し、生活全体が変わっていきました。
妊娠・出産ですべてが変わった…?
昨年妊娠し、ほぼ毎日活動や仕事のある生活から、毎日家にいる生活へと激変しました。冒頭に書いたように、当初は本当に強い孤独を感じていました。いまでもまだ、世界と切り離されたような感覚に陥ることがあります。
家にこもりきりで、「子供が小さいうちはそんなものだよ」と言われることも多いけれど、それをそのまま受け入れてはいけないと思っています。私の考え方が一般的であろうとなかろうと、母親という役割だけでなく、もっと発揮したい自分、担いたい役割が私にはあるからです。
自分らしく暮らすことを諦めない
そんなわけで、出産を経てのいまの私のしゅぎょうは、「自分らしく暮らすことを諦めないしゅぎょう」ということになります。
どんな問題であっても深刻にならず、あの手この手で解決しようとするのがれんげ舎の人たちです。次回からは、仲間の助けを借りながら試行錯誤するリアルなところを書いていければと思います。
書くことを通して世界との繋がりを取り戻せる感覚があり、ここまで書き終えたらなんだか気持ちが明るくなってきました! 引き続きよろしくお願いします。
いえのみ
2007年にれんげ舎加入。子どもの活動、カフェ部門、場づくり支援事業部など多くの事業に関わる。分からないことがあっても調べてなんとかするので、行き場のない仕事が集まってくる。今年出産して生活が激変。ニックネームの由来は「家で呑むのが好きだから」。