「子どもは自由でいいよね」なんて言いたくない
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「子どもは自由でいいよね」なんて言いたくない

こんにちは、れんげ舎note編集長の志摩です。
れんげ舎の日常の様子をお伝えする「生活という活動」。今回は、子どもたちの活動「あそび団」に行ってきました。子どもたちのための活動ですが、大人が率先して楽しむことの大事さに気付かせてくれる現場でした。

役割が個人を覆い隠してしまう

子どもがまだ小さいと、子ども同士で遊ぶときでも親が同伴しますよね。わたしも娘が小さい時には、娘の友達の家や近所の施設にもついて行くことがしばしばありました。

行った先、親同士で会話が始まります。

いわゆるママ友がわたしには出来なかったのですが、それはお互いに「子供の前だから正しい大人でいなきゃ」という態度をしているようで、わたしには窮屈でした。

子どもをきっかけに出会った相手と何を話していいのかわからず、共通点である「親」という役割から、子育てや地域など無難な話題を並べて会話していました。

社会には「いい親像」があるし、子どもからも「親」として見られます。自分では気付かないうちに、役割が個人を覆い隠していました。

お母さんって一人の人間だったんだな

昔、自分の母親の学生時代のアルバムを見たことがあり、「あぁ、お母さんって一人の人間だったんだなぁ」と思ったことがあります。

わたしの母は、わたしにとってはいつも「母親」でした。

無理に「母親」を演じていた感じではなく自然体ではあったのですが、写真にうつる学生時代の母親は、変わらない笑顔のはずなのに、どこか違う雰囲気だと感じました。

子どもの前だからと自分を律し、正しい行動を心がけるのは大切です。でも、何が正しいのかは、社会にあるイメージをベースにするのではなく、親である前に一人の人間として自分で考え、他者である子どもと向きあって決めなければなりません。

親は、親としてやるべき事もやっぱりありますが、独立した個人であることを絶対に忘れちゃいけないと思っています。

子どもを追い越すくらい大人も楽しむ

わたしの娘もあそび団に参加しています。

家で娘から活動の様子を聞いたり、今回のように現場に行ったりすると、スタッフである大人たち(指導員)は、子どもを楽しませるというより、むしろ自分から率先して楽しもうとしている様子が伝わってきます。

面白いのは、それが結果として、子どもたちにとって他では体験出来ないような楽しさ、居心地の良い雰囲気に繋がっていることです。場をつくり支えてる人たちが楽しむことが、その場に参加する人たちの楽しさにつながっています。

娘いわく、「最初はあまり楽しくなかったのに、心を開いて遊びはじめたらすごく楽しくなった!でも指導員たちの方が楽しそうだけど…」ということらしいです。

「子どもは自由でいい」なんて言いたくない

この日、わたしは大人たちとランチにお寿司を食べました。食事前、寿司桶を持って廊下を歩く姿を子どもたちに見つかり、

「あ、なんかおすし持ってない?」
「あ〜!」
「大人ずるい~!!」

と声が飛んで来ました。にやりとやりすごすわたしたち(笑)。

この日は、3ヶ月前に出産したスタッフが久しぶりに顔を出していたので、「ちょっといいもの食べようぜ」ということになったのです。小学校でお寿司を食べたのは初めてでした。

隣の教室では、指導員と子どもたちが持参したお弁当を食べています。彼らは食べ終わると、休憩時間でもすぐにあそび始めます。朝から夕方暗くなるまで、本当にずっとずっとあそんでいます。

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よく「子どもは自由でいい」と言われます。それって本当でしょうか?

わたしは、自由なのは大人の方だと思います。自分で責任を負うことで、何でも自分で決められるし、思ったことを発言できます。周りの目や、曖昧な社会常識に飲み込まれて、「子どもは自由だよね」なんて言いたくありません。

自分で決めるって、ドキドキするけれど、それこそ本当の自由。大人になるって、自由になることなんだと思います。

寿司を食べるいえのみと長田
寿司を食べるいえのみ(左)と代表の長田(右)





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