見出し画像

万能な場は存在しない(対談:主催者教育④)

【連載対談:みんなでつくる主催者教育】
連載1本目:対談について+「主催者教育」について私たちが考えたこと
連載2本目:主催者が一番ご機嫌
連載3本目:場の均質化の問題
連載4本目:万能な場は存在しない
連載5本目:自治って文化
連載6本目:主催者の知恵を集めていこう


主催することの社会的意義

長田:主催することの社会的意義との関係。森さんはどう思いますか?

森: 今の話の「怖がらない」みたいなのが、結構大きなポイントかなと思いました。みんな怖がりすぎてるのかも。失敗したらどうしようとか。

安達:「主催する」が、おおごとなんですよね(笑)

森:そう。うまくいかなかったとして世の中の終わりじゃないというか(笑)、ちょっと試行錯誤すればいいだけで。100ぐらいやり方があるから、1でも2でもダメなら3、4、5…で試していけばいい。そんな怖がらなくても大丈夫。ってなると、いろんな人がちっちゃなトライアルをするようになりますよね。

2019年に中東の国で出会った方がいるのですが、その方のお子さんが通っている小学校は、宿題もテストもないんだと話してくれたことがありました。それはどうやら保護者が集まってつくったそうです。その方が日本にいらしたときに「いろんな人が選択肢がないっていうけどなんでみんなつくらないの?」という感じで質問されました。「私たちの国ではいろんなパターンのものを、みんなでとりあえず作ってみようみたいな感じなんだ」と言ってました。

いろんなものが作りやすければ、みんな生きやすくなる。みんなにとっての選択肢が増えるので。とりあえずちょっとやってみようか、が増えると社会的意義っていうところでは違ってくるだろうと。選択肢が少なすぎるっていうのは、作る人が少ないからというのもあるのかもしれませんね。

長田:主催する人が増えると、社会に多様な選択肢が生まれるということですね。

ひとつの場で全員が幸せになるべき?

長田:オルタナティブな場、スクールもコミュニティも、本当は結構前からあったんだよね。今の20代から30代前半くらいの若い世代もいろんな新しい取り組みをしてるんですけど、80年代90年代、あるいはもっと前にあったパターンだったりするんです。すごい優秀な人たちなのに、意外に知らないんだよね。「それ日本で30年前にこけたやつ!」みたいなことを参考にしてほしい(笑)。いろんな人たちが、いろんな偏ったことを勝手にやってるのが、多様性の担保のひとつの条件ですよね。

安達:そうですね。

長田:自分の作っている場にいろんな人たちを受け入れることを、多様性の実現だとしてアピールしている人が増えたけど、大変じゃない…?って思うんです。もちろん、場の運営のなかで「こういう人にも来てほしい」とか「こういう人からこんな要望が」とか話し合うのは大事だし、立派なことです。でも、場をつくるなら、同時にもっと俯瞰した視点を持ってほしい。ひとつの場だけで全員が幸せになるべきっていう考え方が不幸の始まりになるから。

単一の場における多様性の幅は、その場のアイデンティティが自然に選ぶんです。だから、そのアイデンティティを傷つけてまで、個人でいうところの自分らしさを見失ってまで、概念としての"多様性"にこだわらなくていいんですよ。

森:そうですね、そこに気づかされる瞬間ってありますね。はじめは「こんな感じでやりたいんだ」って始めたものも、数年経っていくといろんな人が関わるようになって、いろんな価値観が持ち込まれていく。そのときに「これはあり?これはなし?」みたいな線引きが必要になる。どこでその線引きをするの?というその議論の仕方も、すごく今、弱い。というか悩みます。

長田:こまちの話ですか?世の中的に?

森:世の中的にも、こまちもそれですごく悩んだときがあって。そのときに長田さんに今の話をしてもらったんです。それですごい楽になった。そうだよなと思って。

長田:「万能な場は存在しない」って話だね。

森:万能な場にならなきゃいけないって思ってたわけじゃないのに、いつしかあれもこれも受け入れない…でもできない、違和感がある、どうしよう…って思ってた。

長田:社会の圧だよね。

森:そうかもしれないですね。

長田:それ社会問題だと思う。

森:でもそれを「そうじゃなくていいんだよ」って誰かに言われることで、こんなに楽になるんだと思って。でも思った後が大変で。それをどうやって組織の中で議論に落としていくのかは、また別問題。何が良くて何が駄目かみたいなことってどうやって決めるの?と。いっぱい意見が並んで「誰の意見を取る?」みたいな話になるとおかしくなってしまう。最初いかにこの合意形成に自分たちが慣れてないか、ということに気づかされました。

誰が本当の主催者なのか

長田:そうですね。だから主催者になるって言ったときに、組織を作っていく段階で出てくる運営の問題、もっと本質的に言うと自治の問題になるんですけど、そこの方法論も、主催者教育は整理できるといいですよね。

安達:うんうん、そう思いますね。

長田:「リーダーが決めたらもう決定」というシステムでやるのか、「みんなで話し合ってみんなが納得したら決定」というシステムでやるのか、という問題。そして、「個人の寄せ集めと、組織・チームの違い」や「ちゃんとスケジュールを立てて成果を出す」みたいな、マネジメントなどそれに付随する問題など、生々しいところもカバーしたいです。

森:スッキリしたら次の週にはまたスッキリしない。って繰り返すんだけど、でもそういうのをやり続けるもんなんだ。ってところも、ポイントかな。すっきりはしないよ。っていう(笑)。

安達:終わりはないと思いますね。参加者から主催者に変わる瞬間を生み出すのもこの教育だと思ったときに、その人たちは主催マインドを持ってるから意見も強くなる。そうやって団体内の主催者が多くなることは良いことではある一方で、物事の決め方がわかんなくなることは往々にしてあると思います。でも、それって結局話し続けないといけないし、その場を良くしたいと思ってみんなが喋ってることなので歓迎していきたいですよね。

めちゃくちゃ面倒くさいですけど、僕はそういう「主催がやりたい」と思ってる人たちが、団体の中に多くいることが、すごく価値だと思っている。
なので、いかにそれをウェルカムできるかはすごく大事ですし、そうやって主催者側に入ってくる人たちもね、いい主催者になってほしいなと思いますね。主催の顔をしたクレーマーとか入っちゃうと大変なので(笑)、そこも育てたいポイントだなと思いました。より良い場になるように思考を向けて、ちゃんとみんなで積み上げられる考え方を持ってる人じゃないと、ちょっとつらいなって、やっぱ思いますよね。

長田:単に形だけの主催者だと、そういうことが増えてくるっていうか。「だってこの人、条件クリアしてますよ。だったら仲間ですよね!」みたいな。そう言われると反論できない状況になってるってことは、その三歩ぐらい手前で何かを間違えた結果かもしれませんね。

安達:そうですね。

長田:自治の観点から、僕は「その人が主催者なのか否か」という線引きは、厳密であるべきだと考えているんです。それも、どこでどう線を引いたらいいのかっていうのも、いろんな事例を知りたいですよね。みんなどうしてるんだろう。こういう話は、長く活動をしている人たちからよく出てくる話で、5年未満ぐらいだとあんまり出てこない話って感じがしますね。

安達:たしかに。やっぱり主催者ってこういうことだよねっていうマインドみたいなものが一般的にはあんまり握られてない気がするので、そこを言語化したいなっていうのと、さっきの主催者っぽさを醸し出して、そうは感じないときって、たぶん座組が先走ってる場合が多いですね。例えば何かのイベントで主催、後援、協賛、協力という表記がよくあると思うのですが、形だけの主催なことが見てわかることもよくあると思うのですが、それだけで「主催」を語られてしまうと、ちょっと違うなっていう感覚があって。やっぱ主催者たるマインドがあるし、主催者シップみたいなものがありそうだなって思うので、その辺を示せると面白そうって思いますね。座組の話じゃないんだよなって強く言いたい。

長田:主催者教育もね、教育体系って言っちゃうと、テンプレート化してよねってなっちゃう。そういうところとも、ある種、戦っていかないといけない部分かなって思いますね。

*次回は8月14日(水)に更新予定です

この対談は連載です。こちらのマガジンをフォローしていただけると、続きが投稿された際に通知が届きます。


活動に興味を持ってくださったら、代表・おさだのメルマガ『冒険と灯台』をご購読ください。