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コロナ療養での気づき。私にはもっと活き活きと生活するため「何か」が必要!

こんにちは、れんげ舎の志摩です。

9月のはじめにコロナに罹患し、外出できない日々を過ごしました。体調が悪いとはいえ、10日間も外出しないでいると、色々と思うところがありました。先に結論だけ書くと、どうやら私にはもっと活き活きと生活するための「何か」が必要なようです。

labでの「コロナ療養生活」

症状が出たのは日曜のお昼過ぎ。ちょうど私たちの拠点である「生き方開発lab」にいました。

少しダルいし喉も痛いし、と横になっていたら発熱し、自宅に戻らずにそのままlabで隔離生活がスタートしました(れんげ舎のlabには、数人で宿泊出来る設備があります)。

すぐに襲ってきた高熱で、食欲も体力もすっかり奪われてしまいました。その間も、外にいるメンバーから差し入れをしてもらったり、lab内にいる感染仲間のメンバーとネットで病院を探したり、宅配で食材を買ったり、色々と助け合って過ごしました。

差し入れのスープが染みた!

一息つけるのは、解熱剤が効いている限られた時間だけ。調子のいいタイミングを見計らい、食事、洗濯、シャワー…、後はひたすら寝ていました。

恐ろしいもので、体調が悪いと何も考えられなくなり、ぼんやりとした頭に浮かんでいたのは「どうしたら体が辛くないか」や「痛みや苦しみをやり過ごすにはどうしたらいいか」くらいでした。思い出すだけでも辛いです(笑)。

ふだんから2拠点生活です

labには、オフィスやイベントスペース、収録などをするスタジオの他に、キッチンや居住スペースがあり、labに住んでいるメンバー(冗談で出家メンバーと呼んでいます!)もいます。

私は会議や活動のある日にlabへ行き、その日は大抵泊まりです。週3回はlabに行くので、半分くらいはlabで寝泊まりしていることになります。感覚的には2拠点生活です。

ただ、今回のように仕事ではなく療養でlabに滞在してみると、普段の私のlabでの時間には「生活」が抜けていたのだということに気がつきました。生活と活動が隔てられているのではないかと思ったのです。

labのバルコニー。外の空気がおいしかった…!

「衣・食・住を満たすためのタスク」と私

日常は毎日食べる、働く、着替える、お風呂に入る、片付ける、移動する──そんなことの繰り返しです。

でも、体調が悪いとどれも満足にできません。

コロナで動けなくなり、仕事も含めて様々な調整が必要となりました。食事の準備や掃除も人任せで、食事をした食器などは、さげにきてくれるまでは放置というありさま。

そんな状況に身を委ねながら、「私の日常はなんて忙殺されていたのだろう!」と感じました。「やりたいわけではないけれど、やらなくてはいけない(と思っている)こと」が、とても多いように感じたのです。

それは、衣・食・住を満たすためのタスクです。

衣・食・住は生活の大前提。どれかがまったく欠ければ、まずはそこを補うことが生活の最優先事項になります。ただ、衣・食・住が充足すれば幸せかというと、それは違いますよね。

動きが染みついて身体が勝手に動いちゃう問題

当たり前のように身の周りにあるものに慣れ過ぎていて、自分でも気付かないうちに手放せなくなっている…。それは、明確な意志などではなく、習慣化して考えなくなっているからだと気付きました。

衣・食・住に関する生活の知恵ってたくさんあります。家庭によって差はあれど、親から教わった習慣なんかは自然と身についてしまっていて、考えるよりも先に身体が動きます。

例えば、洗濯物は日が暮れる前に取り込みたいとか、食器は放置せずに洗いたいとか、洗濯物や食器が優先ならそうする方がいいに決まっています。でも、それを選択した裏側で犠牲にしているものがあることに無自覚だったなと思います。

慣れすぎてしまっている習慣。当たり前にとっている行動。そんなものの中には、すっかり辞めてしまってもいいものがけっこうありそうです。

私自身の深いところに根ざすものとは?

習慣があることで生活が守られる一方で、生活を守るためだけに生きているという疑問や空虚さを感じます。

外で働いてお金を稼ぐというのも、結局は衣食住を守るためです(私は平日昼間は一般企業で働いています)。働くことのやりがいや充実感はあるし、納得もしています。でも、その充実感が私自身の深いところに根ざしているかというと、それは違うようです。むしろ、根っこにある虚しさにフォーカスしないために、うまくつくりだしている充実感のように思えます。

生活も仕事も、自分で選んだようでいて、実はなんとなく流れと習慣で選んでしまったような気がします。自分で選び、つくったものではない。それなら、自分に深く根ざした充実感が得られないのは当然ですよね。

生活と労働が分断された社会で「生」は感じづらいけど、だからといって、私の場合「自然のなかで自給自足!」みたいなことにはあまり興味がありません。もっと活き活きと生活するための「何か」が、私には必要なのです。

labのバルコニーからの景色
仲間とテキーラ!おかげさまでこんなに元気に♪(真ん中が私)


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