場の均質化の問題(対談:主催者教育③)
前回の記事では、終盤に「主催することで内在していたものが出てくる」という話が出てきました。今回はその続きから始まります。
内在しているものが場に現れる
森:内在しているものが場に現れるとは、安達さんにとってコモンビートではどんな感じですか?
安達:どうですかねー!「ここは心理的安全性が高い場です」という看板を掲げているわけじゃないけれど、ある程度内在しているものを感じ取っているから自分の気持ちを外に出すことをためらわない人が多いってことに繋がっているとは思うんです。
例えばコモンビートはミュージカルをやっているので、適した音楽を場に追加している感じになります。そこでもし演歌がかかっていたら、なんかピンとこないし、ミュージカルやろう!って気持ちにもならないですよね。参加者の方は音楽を聞いて、感覚的にここの場はそういうモードだなと理解している部分もあると思います。そういう演出をかけるために音楽をうまく使って、五感的なフィーリングからどういう場なのかを伝えている感じですかね。さらには、参加者の中で、あの人があそこまでやるんだったら私もやってみようというような作用がどんどん連鎖していって、自己開示に繋がることは起こっていると思います。場に自分たちがつくりたい「モード」をどう作るかを主催者のこだわりとしてやっているってことですかね。
森:そのこだわりみたいな多分さっき長田さんおっしゃった非言語の部分なのかなと思って。
安達:そうかもしれないです!
森:例えば私は結構いろんなカフェに行きますけど、いらっしゃいませって言われたり、言われなかったりしても、入った瞬間にこういうことにすごくこだわっているなと感じ取るものがあります。でも誰もを受け入れられる場にしないといけないと思うあまり、いろんな雰囲気やトーンのものが混ざったり、そのこだわりを捨てなきゃいけないとなってしまう。でもそれは本当は一番捨てちゃいけないもの。
本当はそのゼロからイチを作るときのその非言語の部分をすごく大事に、ちゃんとそこにこだわりが空気の中にあるようにしていくには、相当深く話し合ったりとか、掘ったりとか、ちょっと苦しみを伴ってぶつかったりして、コネコネしてないと、形にならない。そこをどれだけ真剣にやるかみたいなことは結構大きいだろうなって思いますね。
長田:場にもアイデンティティがあるんですよ。人には人のアイデンティティがありますよね。複数の人が自らのアイデンティティを発揮しながら場をつくっていくと、不思議なことに場や組織のアイデンティティが発現していく。個人的な価値から、社会的な価値に昇華するメカニズムを、場は持っていると言えますね。
場の均質化の問題
長田:さっき言ってた均質化の問題なんだけど、「地域の居場所を作りましょう」みたいな話は日本中でやっていて、講座みたいなのもいっぱいあって、れんげ舎にもそういう仕事依頼がたくさんきています。でもやっぱり、本当に切り揃えようとするっていうか…自治体がやってても、社会福祉協議会がやってても、民間のNPOがやってても、「地域の居場所っていうのは、ここからここまでの範囲に収めましょうね」っていう感じがすごくある。
一方では多様性だの自分らしくだの言っていても、いわゆる"健全"な場ばかりがコピペされ増殖してしまうので、地域に場や主催する人が増えても、居場所がない人はないままなんですよね。でもさっきの亮さんの飲み会主催の話みたいに、「俺は油がギトギトでいく!」「俺はとにかく日本酒が飲みたい!」って振り切った時に、「なら行かない」という人と「絶対行く!」という人が出てくる。これが大事だと思いますね。主催者教育では、ちゃんとここの問題意識を持ち示していきたいなと思うんです。
安達:私が飲み会も含めて主催をする時は、まず自分のやりたいこと・したいことがあって、それを1人でもやる・やりきれるできるという前提があります。主催者っていうのは役得ではあると思うんですよ、自分の好きにできるから。だけど、好きにできる反面、それを独り占めせずに、周りにシェアしたい気持ちも同時にあったりします。
例えば、僕が長田さんと喋りたい!と思った時に、単にカフェで喋ることもできるのですが、僕らの話を2人だけに留めるのはもったいないとなれば、自分の場を開放してシェアすればいいですよね。でも、土台は「長田さんと喋りたい」であることは変わらない。あくまでも主催は自分であるということですね。そういう意味では主催するって、結構わがままななこと場なんじゃないかなと思うんですよね。でもそうじゃないと、それこそ長田さんがさっき言っていたように、先に場としての枠組みを決められて、それに合わせていこうとすると、わがままがなくなってちょっと気持ち悪い感じになっちゃう。ここの差を上手にみんなが理解しながら、「わがままにやっちゃっていいんだよ!」っていう許可がもらえたりすると、みんなも主催していくっていうことを怖がらない状態になるんじゃないかな。
長田:本当にそうですね。別にわれわれは許可を出す立場じゃないだけど、勝手に許可を出すっていうのが大事なのかも。
安達:主催ってわがままだぞっていうのが当たり前になってくれれば、これもあれもありじゃん!って思える。「自分らしくやれば良くない?それが主催でしょ!」っていうふうに大手を振って言ってあげられるようになると、結構勇気持ってやってくれる人も増えるんじゃないかな。