夏が来て感じた「その瞬間にしか感じられないこと」の大切さ
こんにちは、れんげ舎編集長の志摩です。
日に日に暑くなりますね。夏の訪れを感じます。最近は、labにあるバルコニーで外ご飯ができるので、天気をよく見ている気がします。今回は、毎年季節が移り変わる頃、よく感じていることを書きました。
イメージと実際の感覚のギャップがすごい
私は、夏の景色が大好きです。
青い空に白い雲、風鈴やカキ氷の旗が揺れてる様、海、夏服、夏休みの学生たち…。どれも好きなシーンです。
そんなわけで、20代半ばまで「私は夏が好きなんだ」と思って生きてきました。が、いざやってくると、もう暑くて(笑)。6月末くらいにはいつも「早く、夏終われ」と思っています。
思うに、暑かったり、汗臭かったり、ベタベタしたり、クーラーで冷えすぎたり、寝不足になったり、そういった身体感覚を除けば、夏は大好きなんです。
外の世界と内の世界を隔てるものとして身体があるんだなと、つくづく感じます…。身体感覚でいえば大嫌いなのに、イメージとしては大好きな夏、なんだか不思議です。
想像力が仇になることもある
私はまだ未体験なのですが、最近は「メタバース」が話題ですよね。なんでも仮想現実の世界へ行けるそうで。どの程度まで身体感覚を使うことができるのかわかりませんが、興味はあります(れんげ舎でも何度か話題になりました)。
暑くない夏が体験できたら理想!と思う反面、それはもはや夏ではないのでは…という気もしてきます。
そうなると、不快な身体感覚なくしては夏を感じられないし、むしろ、私などはその不快の中でふと感じる風の爽やかさや、冷たいものの喉越しのよさ、爽快感などはたまらなく好きなわけで…人間ってややこしいですよね。
想像力って素晴らしい能力だと思うのですが、全面的に肯定できないところもあります。その能力で、相手に寄り添うことができたり、未来を切り拓けるのは間違いないけれど、想像することでかえって余計な事をしてしまったり、コミュニケーションが遠回しになることもあります。
もっと、「今ここ」にフォーカスして、この場にある感じや、今の自分の感覚に目を向けることを、大切にしていきたいです。
その瞬間にしか感じられないこと
頭でわかっていることと、感覚って本当に違うなと思います。
冬の時期にも、「夏は暑い」ということは知っています。でも、感覚としてはそこにないので、夏が待ち遠しく感じられます。私は都合のいい部分だけ覚えている人間なのでしょうか…。
そして、こうして本当に夏がやってくると、実際に感じて「あぁ、この感じ…!」となります。言葉や絵や音や、いろいろなもので感覚を表現しようとしますが、感じていた瞬間の鮮明さは、保管しておけませんよね。
時間という概念を持てる人間には、過去と未来が存在しているわけですが、目の前にあって触れられるのは、いつだって今だけ。
あぁ、窓の外の景色が眩しいです。
忘れてはいないけれど、留めてはおけないもの。
その瞬間にしか味わえないこの感覚。
私にとって大事なものだと気付きました。