やりたいこと、自己犠牲、勝ちパターンからの脱却について語る
れんげ舎の代表・長田英史のラジオ番組『ことばの灯台』を聴いたメンバーたちが、気持ちを揺さぶられた回を語り合います。
毎月の放送から3人が1本ずつを選び、自分のエピソードも交えながら、思ったことを語っています
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「やりたいこと」などなくていい?
しま:今月もこの時期がやってきましたね!おなじみのメンバーでいってみましょう。最初は小山さんです。
小山:私は「「やりたいこと」などなくていい」です。近所に住んでるおばあちゃんから、よく「やりたいことないの?」って聞かれるんです。学生時代はよく聞かれていた質問でしたが、この年になっても聞かれると、考えるきっかけ・機会にはなるので、ありがたくはあります。
中川:若い時は、どうしても聞かれる質問ですよね。
小山:私は先生からそう聞かれたとき「目的をもたない生き方をしたい」って答えていました。目的を絞ってしまうと、その分視野を狭めるし、自分の他の可能性を潰してしまうし。
しま:まっすぐ進むって近道のようだけど、他の道を知らない分つまづきやすい気がします。
小山:将来って不確定要素が多いものなのに、20年先、30年先まで、具体的なプランが言えるって、かえって表面的だと思うんです。本当にそんなふうにいくと思ってるのかなって。だから、やりたいことがわからないって、結構当たり前じゃないかな。
中川:僕も若い時に質問をされた時は「そんなの知らないよ」と思っていました。でも最近はやりたい事があれば人には話したいし、人のやりたい事も聞いてみたいなと思うようにはなってきました。
小山:やりたい事を聞く側が漠然としてる時もありますよね。相手の本当の意見を聞きたいというよりは、「こう答えてほしい」というのがその人にあって、その通りの答えが返ってくればその人が安心できる。でも、相手の欲しい答えを出しても仕方ないし、やっぱり将来やりたいことなんて、なくてもいいなと思います。
自己犠牲って気持ち悪い
おく:私は「自分と周囲を同時に大切に出来ますか?」です。自分が優先されるということは、誰かが我慢をしているんじゃないかと思って、自ら譲っていたんです。でも、「譲ってよかった!」と実感が伴うことってあまりないし、譲ることが単に習慣になっているだけだと思って。
しま:わかる、譲っちゃうよね。
おく:私の母は、いつも子どもを優先していました。でもある時、母親の犠牲の上で自分がやりたいことをできても、あんまり嬉しくないなと思って。譲る行動がクセになってるけど、「自分を大切にすること」「相手を大切にすること」両立させたいんです。やっぱり、だれかの犠牲の上で成り立つことって、ちっとも嬉しくないですから。
中川:自覚がないパターンもあるよね。私は「この場合は、自分が調整すればうまくいくな」と思える時もあって、それは犠牲になってるというよりは、大袈裟な表現だけど「使命感」という感じかな。
小山:オープンにすることも大事ですね。自分の中だけで勝手に完結させて「私が犠牲になる」って被害者の態度になってしまうと、周りは自動的に加害者にさせられますからね。
おく:そうそう。なんでも「とりあえず」で譲っていたら、そういう状況をつくりかねないですよね。
「勝ちパターン」からの脱却
中川:私は「半信半疑な目標が自分を新しくする」です。まさに、今の自分に必要だなって思って。今、集中して何かに取り組みたいんです。集中している時は、楽しさも不安も自然に感じるし、それって半信半疑モードじゃない?と思ったんです。
しま:なるほど。たしかに、今の生活が安定すると結構ぼんやりしても生きていけるね。
中川:何を食べる、何を着るとか、そんな普段の選択の場面で「勝ちパターン」みたいなのがあって、それを選んじゃっているのが嫌なんですよね。
小山:経験を重ねると追い込まれることは減っていくから、自分自身のぶれを感じる機会が減りますよね。失うものがなければ思い切り動けるけど、失いたくないものがあると守りに入るともいえますね。
中川:就活中は、「とにかくブレよう」と思って色々興味のある場に行ったり、動いてましたね。今と比べると失うものはない! と感じていた気がします(笑)。
小山:この仕事を始めた時、大先輩にアドバイスをもらったんです。「やったことのない仕事をもらったときに、喜びを感じられなくなったらこの仕事はもうやめたほうがいい」。つまり、型にはまってる勝ちパターンの仕事ばかりだとつまらない、と思えないとやってられないよって。
しま:半信半疑モードって、外からみるとちょっと危うい感じもあるよね。そして、その危うさが魅力的。
中川:本人は周囲が感じてるほどの危うさは感じてないと思うんですよ、必死だから。でも、その行動してから考えるという順番でしか出会えない感覚や出会いはある気がしてます。